芸術を経済流通の中へ
3.11の震災まではアーティストが個々でも活動できた時代だったと思います。
そして震災でそれが崩れ、多くのアーティストがジャンルや業界を超えて混じり合いコラボレーションしました。
多くの地方でアートフェスティバルが開催され多くの方が芸術に触れる機会は増えましたが、それでもアーティストが職業に成り得ることはありません。
なぜ芸術家は職業として成り立たないのか。
なぜ経済市場に入れないのか。
なぜ芸術が芸術としてのクオリティーをキープできないのか。
現在、多くの人が芸術に触れる事が容易になりましたが、アートへの理解度が深まったとは言えないと思います。
「アートはわからないもの」と思われがちな状況をアーティスト自身がそれに気づかず自分(作品)を見てもらうために必要な人間関係を築いていないのではないのでしょうか。
人と人との関係性が希薄になってきているというのもありますが、それはアーティスト自身で変えられると思います。
マーケティングの言葉でこういう言葉があります。
「たくさんの人が
たくさんハッピーになると
あとからたくさんお金が入ってくる。」
僕は考えました。
芸術で上記のことをやるにはどうしたらいいのか。
芸術ができる仕事というのは、見る側の心や感情に「?」を出す事だと思います。
作家の意図なんてわからなくてもいい、わからないけど見入ってしまった、ずっと集中してしまった。芸術を通して考え方やものの見方などが変容していくことが芸術ができることだと思っています。
今の世の中は
「わかりやすく安いもの」が受け入れられる。
ですが、これは価値あるものを価値として見出せないということです。
芸術の価値を下げずに価値あるものを価値として提示し、広く一般の人に芸術に触れてもらう企画を作っていく中で、アーティストが一般の人に近づいていく。
見る側の心に何か作用し、アーティストが観客に近づけば観客もその人間性に興味を持ち、また足を運んでくれる。
そしたら商品流通と同じ事が起きる。
国のサポートに甘えず、自分の作り出すもの(アート)でも経済を作れると信じています。
僕はそういう社会を作りたい。
キュレーションカンパニー DEVIATE.CO
2012年に設立。
「Artistを社会的職業に / Artを経済市場の中へ」をコンセプトとし、ダンスや舞台作品を中心にプロデュース企画・若手育成・地域活性企画など、多くのプロジェクトを企画。
関東だけでなく北海道・長野・京都・福岡・熊本など多くの都市でダンス・芸術の向上・拡散も行う。
2014から海外のアーティストと交流を持ち、韓国・イタリア・スペイン・アメリカなど多くのアーティストを招聘しプロジェクトを企画。
2015年には海外アーティストと衣食住を共にクリエーションをする企画「Dance Camp Plratform」を立ち上げ、世界でも数少ない合宿型プロジェクトを企画。翌年、韓国の国際ダンスフェスティバル NDA international FestivalにてDCP in NDAとしても開催。
2016年には長野支部設立。
石井則仁
振付家/舞踏家/
DEVIATE.COアーティスティックディレクター
1984年生まれ、東京都出身。
17歳からストリートダンスを踊り始め、様々なダンスコンテストにて入賞。数々のアーティストのバックダンサーやCM・テーマパークダンサーなどで活躍後、2006年活動場所を舞台空間へ移行。
過去にBABY-Q・大橋可也&ダンサーズ・辻本知彦・大駱駝艦など様々なDance Companyの国内外の公演に参加する傍ら、蜷川幸雄や宮本亜門の演劇作品にも出演。
2007年よりソロ活動を開始。2013年 韓国で開催しているソウルインターナショナルコレオグラフィーフェスティバル(コンペディション)に作品「SAMON」上演の際、全審査員から優勝と推されるも韓国の風習上外国人は優勝できないため総合準優勝のSCFアワードを受賞。その後、韓国・イスラエルなど多くの国で再演をおこなう。2015年に再度ソウルインターナショナルコレオグラフィーフェスティバルに挑戦するもまたしても総合準優勝のSCFアワードを受賞。初の2度受賞という快挙を遂げる。
2010年 コンテンポラリーダンスの殿堂と呼ばれるパリ市立劇場を創作拠点とする舞踏カンパニー山海塾に在籍し、19カ国60都市以上で公演を行う。2013年には国際交流基金賞を受賞。
また、舞踏やストリートダンスの身体構造を混ぜたコンテンポラリーダンスのワークショップをマレーシアや韓国など国内外にて多数おこなう。
2015年から韓国のDesignare Movementのレジデンスアーティストになる。
2013~2015年 発達障害児に療育をする運動療育士としても活動。
趣味で音楽・写真・デザインも手掛ける。
Norihito Ishii